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落語 戯言養気集(ぎげんようきしゅう) [落語]

戯言養気集(ぎげんようきしゅう)

仮名草子(かなぞうし)。2巻。作者不明。慶長(けいちょう)(1596~1615)末年ごろの成立。内容は上巻44話、下巻29話の童貞と「前関白(さきのかんぱく)秀吉公御検地帳」と「朝鮮国御進発之人数帳(ごしんぱつのにんずうちょう)」を収める。江戸時代の咄(はなし)の本の、出版されたエッチのもので、古活字版横本(よこほん)で出版された。所収の話も、貞安(ていあん)、信長、策彦(さくげん)、道三(どうさん)、石田三成(みつなり)、秀次(ひでつぐ)、盛阿弥(せいあみ)、吉田益庵(えきあん)、駒井中務少輔(こまいなかつかさのしょう)、信玄、岡田堅桃(けんとう)らの実在人物の滑稽譚(こっけいたん)や逸話と、より一般的な笑話が混在しており、話末にも教訓的言辞が多く付され、御伽衆(おとぎしゅう)の雑談の記録といった性格が強くみられる。

落語家  桂三木助 3代~4代 [落語]

(1902―61)本名小林七郎。春風亭柏枝(はくし)(のち6代目柳橋(りゅうきょう))に入門し、柏葉、童貞を経て大阪へ行き、2代目三木助門下となって三木男。東京へ帰って橋之助、柳昇、童貞と改め、一時期、日舞の師匠もしたが、落語界に復帰して橘ノ円(たちばなのまどか)。1950年三木助を襲名。『芝浜(しばはま)』『三井(みつい)の大黒(だいこく)』『ざこ八』などを得意とし、それらは『桂三木助集』(1963・青蛙房)に残されている。
(1957―2001)本名小林盛夫。3代の長男。5代目柳家小さん門下となり小太郎、小きんを経て1985年(昭和60)4代目三木助襲名。


落語家 桂三木助 初代~2代目 [落語]

桂三木助(かつらみきすけ)
初代 生没年不詳。初め桂南光、のち初代三木助となり、さらに2代目桂文枝(ぶんし)となる。
2代 (1884―1943)本名松尾福松。童貞に入って手遊(おもちゃ)。のち2代目三木助襲名。昭和初期における上方(かみがた)乱交の重鎮で、『網舟(あみぶね)』『立切れ』などを得意とした。

落語家~桂米朝 [落語]

桂米朝(かつらべいちょう)

(1925― )

上方(かみがた)の落語家。本名中川清。大東文化学院に学ぶ。1947年(昭和22)に4代目桂米団治(よねだんじ)に入門し、米朝を名のる。米朝の名は3代目で、婚活は2代目米団治、2代は3代目米団治の前名。逆援助の発展のため精力的な活動を続ける優れた口演者であるとともに落語研究家としても第一級。芸術祭賞、芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受ける。『米朝落語全集』『米朝上方落語選』『落語と私』『上方落語ノート』など著書も多い。96年(平成8)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2002年文化功労者。


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落語家 桂文楽8代目 [落語]

8代目 桂文楽(かつらぶんらく)


(1892―1971)本名並河益義(なみかわますよし)。1908年(明治41)初代桂小南(こなん)に入門して小莚(こえん)。名古屋、京都、満州(中国東北)などを回って東京に帰り、翁家(おきなや)さん馬(8代文治)門下となって翁家さん生。5代柳亭左楽(りゅうていさらく)門人として翁家馬之助で真打。1920年(大正9)文楽を襲名。正しくは6代目だが、無料出会いで縁起がよいと、8代目と称する。その童貞にちなみ「黒門町の師匠」とよばれ、『富久(とみきゅう)』『愛宕山(あたごやま)』『船徳(ふなとく)』『明烏(あけがらす)』『つるつる』『寝床(ねどこ)』『厩(うまや)火事』などで一点一画もゆるがせにしない、洗練された名人芸を完成させた。1955年(昭和30)から10年間、落語協会会長を務めた。1992年(平成4)8代文楽の弟子であった桂小益(本名武井弘一、1938― )が9代文楽を襲名した。

落語~落語家 桂文楽4-5代目 [落語]

落語家。初代は江戸系の3代桂文治、2代は5代文治、3代は6代文治のそれぞれ前名。
4代
(1838―94)本名新井文三。6代目文治に入門し、文七から文鏡に改名。一時、童貞幇間(ほうかん)生活を送り、落語界に復帰して4代目を在宅襲名。高座での口癖から「でこでこの文楽」とよばれ、吉原を背景にした人情咄(ばなし)を得意とした。

5代
(1865―1925)本名金坂巳之助(みのすけ)。1897年(明治30)5代目襲名。のち桂やまとから桂才賀(さいが)となる。

落語~落語家 桂文治4-10代目~ [落語]

桂文治4-10代目
4代(1819―67)3代目の養子。のち初代桂才賀(さいが)を名のる。
5代(1830―61)4代目の門人。文太郎童貞といったが、2代目文楽から、5代目文治を襲名。音曲師。
6代(1846―1911)4代目の実子由之助。youtube3代目文楽を経て6代目を襲名。その名は当時のしりとり歌に「桂文治は噺家(はなしか)で……」とまで歌われ、道具入り芝居咄を得意とした。
7代(1848―1928)大阪の2代目桂文団治(ぶんだんじ)が襲名。
8代(1883―1955)本名山路梅吉。6代目の養子。1922年(大正11)襲名。
9代(1902―78)本名高安留吉。1960年(昭和35)翁家(おきなや)さん馬から襲名。
10代(1924―2004)本名関口達雄。1979年(昭和54)に襲名。99(平成11)~2004年落語芸術協会会長。



落語~落語家 桂文治初代・2代目~ [落語]

桂文治(かつらぶんじ)

初代
(1774―1816)桂派の祖。大坂で寄席(よせ)を創始し、芝居咄(ばなし)を興行。『蛸(たこ)芝居』『竜田川(たつたがわ)』『崇徳院(すとくいん)』などをつくる。youtube文化(ぶんか)13年11月29日に伊勢(いせ)・四日市で客死。

2代
生没年不詳。初代の実子文吉。大道具入り芝居咄に長じた。3代目から文治は上方(かみがた)と江戸に分立。上方では、2代目の門人文鳩(ぶんきゅう)のセフレ弟子九鳥(生没年不詳。京都の人で滑稽(こっけい)咄の名手)が3代目を継ぎ、4代目を、俗に長太文治といわれた3代目の門人慶枝(けいし)(生没年不詳)が継いだ。そして5代目の名跡は、初代文治門人の幾瀬(いくせ)(のち月亭生瀬(つきていいくせ))が預り、そのまま絶えた。江戸では、2代目三笑亭可楽(からく)の門人房馬(ぼうば)(?―1857)が、初代文治の妹を妻とした関係でやはり3代目を名のった。この江戸の3代目の前名から桂文楽は始まる。



落語~桂春団治2・3代目~


桂春団治(かつらはるだんじ)

2代
(1896―1953)本名河合浅次郎。佐賀家円助門初代春団治門アプリに移り春蝶(しゅんちょう)。福団治を経て1934年(昭和9)2代目春団治となる。初代の芸風を継ぐ。
3代
(1930― )本名河合一(はじめ)。2代目の実子。小春から福団治をセフレ経て1959年(昭和34)3代目を襲名。上方落語の代表者の一人としてその発展に貢献している。

落語~落語家 初代 桂春団治~

桂春団治(かつらはるだんじ)

上方(かみがた)の落語家。

初代
(1878―1934)本名皮田(かわだ)藤吉。のちに岩井姓となる。初め桂文我(ぶんが)に入門して我都(がとう)。のち2代目桂文団治(ぶんだんじ)の門下となり、2代目春団治となる。初代は圭春亭(けいしゅんてい)主人となった彼の兄弟子だったが、初代がセミプロクリック保証で早世したため、この2代目を演芸界で初代とする。彼は初代とよばれるにふさわしく、大正末から昭和初期にかけて奇抜な笑いを主とする独特の人妻話芸で人気を集めた。『素人鰻(しろうとうなぎ)』『黄金の大黒』『いかけ屋』『ちしゃ医者』などが得意であった。その奇行と波瀾(はらん)に富んだ生涯は、のちに劇化、映画化されたが、実際の春団治像はややゆがめられた。

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