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落語家 桂三木助 初代~2代目 [落語]

桂三木助(かつらみきすけ)
初代 生没年不詳。初め桂南光、のち初代三木助となり、さらに2代目桂文枝(ぶんし)となる。
2代 (1884―1943)本名松尾福松。童貞に入って手遊(おもちゃ)。のち2代目三木助襲名。昭和初期における上方(かみがた)乱交の重鎮で、『網舟(あみぶね)』『立切れ』などを得意とした。

落語家~桂米朝 [落語]

桂米朝(かつらべいちょう)

(1925― )

上方(かみがた)の落語家。本名中川清。大東文化学院に学ぶ。1947年(昭和22)に4代目桂米団治(よねだんじ)に入門し、米朝を名のる。米朝の名は3代目で、婚活は2代目米団治、2代は3代目米団治の前名。逆援助の発展のため精力的な活動を続ける優れた口演者であるとともに落語研究家としても第一級。芸術祭賞、芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受ける。『米朝落語全集』『米朝上方落語選』『落語と私』『上方落語ノート』など著書も多い。96年(平成8)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2002年文化功労者。


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落語家 桂文楽8代目 [落語]

8代目 桂文楽(かつらぶんらく)


(1892―1971)本名並河益義(なみかわますよし)。1908年(明治41)初代桂小南(こなん)に入門して小莚(こえん)。名古屋、京都、満州(中国東北)などを回って東京に帰り、翁家(おきなや)さん馬(8代文治)門下となって翁家さん生。5代柳亭左楽(りゅうていさらく)門人として翁家馬之助で真打。1920年(大正9)文楽を襲名。正しくは6代目だが、無料出会いで縁起がよいと、8代目と称する。その童貞にちなみ「黒門町の師匠」とよばれ、『富久(とみきゅう)』『愛宕山(あたごやま)』『船徳(ふなとく)』『明烏(あけがらす)』『つるつる』『寝床(ねどこ)』『厩(うまや)火事』などで一点一画もゆるがせにしない、洗練された名人芸を完成させた。1955年(昭和30)から10年間、落語協会会長を務めた。1992年(平成4)8代文楽の弟子であった桂小益(本名武井弘一、1938― )が9代文楽を襲名した。

落語~落語家 桂文楽4-5代目 [落語]

落語家。初代は江戸系の3代桂文治、2代は5代文治、3代は6代文治のそれぞれ前名。
4代
(1838―94)本名新井文三。6代目文治に入門し、文七から文鏡に改名。一時、童貞幇間(ほうかん)生活を送り、落語界に復帰して4代目を在宅襲名。高座での口癖から「でこでこの文楽」とよばれ、吉原を背景にした人情咄(ばなし)を得意とした。

5代
(1865―1925)本名金坂巳之助(みのすけ)。1897年(明治30)5代目襲名。のち桂やまとから桂才賀(さいが)となる。

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